越後観音第二十番礼所 真言宗 智山派 如意山 照明寺(しょうみょうじ)

総本山は京都市東山区 智積院(ちしゃくいん)

 
 

    照明寺は、永承4年(1049年)あるいは永承2年(1047年)に開創されたと
  伝えられています。
  高野山龍光院の住僧・栄秀阿闍梨(えいしゅうあじゃり)が、この地に庵を結んで聖観自在菩薩を安置した
  のが始まりであります。
   おまつりされている聖観自在菩薩は、延暦年間(782~805)、真言宗の宗祖
  弘法大師空海上人が、(とう)の国(現在の中国)に留学される折に、道中の安全・海上
  の安全・学業の成就を祈願して鋳造された、御丈一尺二寸の観自在菩薩であり、
  「寺泊の観音さま」と言われています。
  弘法大師は、留学前に、祈願された尊像を泉州槇尾寺(せんしゅうまきおじ)に納め、帰朝後高野山を
  開創され、尊像を住坊である高野山龍光院(りゅうこういん)(中院の御坊(ごぼう))に安置されました。
   弘法大師ほ入定後、龍光院の住僧・栄秀阿闍梨は、聖観自在菩薩の「我を負荷し
  て諸人に結縁せしめよ」という夢告(むこく)を破り、尊像を背負い高野山を降り、諸国を巡行
  されました。
   栄秀さまが観音さまを背負い、当地寺泊にさしかかった時、急に背中の観音さまが
  重くなり、一歩も歩けなくなってしまったので、やむなく当地で一夜を過ごされました。
  その夜、観音さまが栄秀さまの夢枕にたたれ、「ここは観自在菩薩の浄土・補陀落(ふだらく)
  山に等しい。東には摩尼宝(まにほう)の峰あり。西には青い海に佐渡ヶ島を眺めて、本地阿弥
  陀如来の浄土に近い。我はこの地にとどまって、一切衆生を教化救済しよう。」と告
  げられました。
  そこで、栄秀さまは、庵を建てて観音さまを安置し、照明寺を開創されました。